ページビューの合計

2013年2月12日火曜日

公につくす


SFCの初代学部長でもある加藤寛教授が亡くなられた。
 
 
生前、このような事を言われていたことを最近知った。
 
「もちろん、お金は儲けるほどいいものですが、それを第三者のためにどこまで使うことができるかというのが、社会を作る重要な鍵となります。日本がさまざまな課題を抱えているいま、よりよい社会を作るために、次世代にその社会を残していくために、SFCで学ぶ人たちには、公につくすということを心に刻んでいてほしい、そう願っています。」

 
SFCを卒業して10数年。SFCは自分にとってプラスだったのか、卒業後時々考えることがある。経済、法律、文学等々、多岐に亘ってクラスを履修し、深みのある知識はついたのだろうか。浅く広く学問をやり、どんな専門性がついたのだろうか。
 
今でもこのモヤモヤ感は解消されていない。
 
 
先月、丸の内でSFCOB会というイベントがあった。自分が知る限り、SFCOB会をやるのは初なのではないか。懐かし面々と出会えるかとの期待もあり参加してきた。公演をされた井関先生は、SFCを設立した当時の想いを熱く熱く語っていた。先生の考え方と社会の現実とのギャップを感じたものの、社会を変えてやろうとのあのパワーはSFCならではだと思う。
 
 
「公につくすということを心に刻んでいてほしい。」
 
「公に尽くす」精神は自分が最も大切にしている。だから、加藤教授のこの言葉に救われた。今でもSFCに対するモヤモヤ感は解消されていない。ただ、一つ言えることは、このDNAが自分の中に入っているということ。
 
 
政府系金融機関に転職したのも「公」を意識しての決断だった。そして、留学先を決めたのも、ケネディースクールの校訓である「Ask what you can do for your country」に共感を覚えたから。この言葉はこのブログのタイトルにもなっている。
 
 
卒業して以来、一回もSFCに行っていない。今度行ってみようか。どう感じるのだろう。

2012年5月18日金曜日

日中韓関係を考える

この春休みにイスラエルに行った以降、ずっと引っかかっていることがある。

それは、日中韓の歴史問題について。依然この3か国には、感情的な軋轢がある。戦後は本当に終わったのか?この問題で、どれだけ経済的損失が発生していることか。

イスラエルに行った時に、ホロコースト博物館を訪れる機会があった。悲惨な事実を目のあたりにして、言葉を失った。と同時に、こんな疑問が浮かんだ。

ユダヤ人はドイツ人についてどう思っているんだろうか?

イスラエル滞在中、何人かにこの質問をぶつけてみた。想像とは裏腹に「forgiveness」という言葉を使う人が多かった。当然のことながら、今でもドイツ製の商品を買わないと答えた人もいた。でも大多数は、この問題は片が付いたと考えている人たちが多かった。

そして、フランス人、スペイン人もこの問題を問題にすらしてないような印象を受けた。

この違いはなんだろう?ドイツは何をしたんだろう?

そして、この疑問を同じプログラムに在籍しているドイツ人にぶつけてみた。ドイツは戦後何をしたのかと。

幾つか興味深いことを話してくれた。

1960年代に若者の間で戦中何が起こったのかを知ろうという動きが起こり、この時に戦中に起こった出来事をタブー視することなく、全てを明らかにしたこと。そして、ドイツとフランスでは、1年に数回必ず閣僚が相手国を訪れ親睦を深め、また相手国の語学の学習が義務付けていること(ドイツではフランス語、フランスではドイツ語の学習必須)。更に、ドイツではホロコースを否定する発言は法律により禁止されていること。

彼とも話して重要だと思ったことは、戦中にあった事実を国民の間で認識が一致しているかということ。日本では、政治家、国民、学者たちの間で、意見の統一が必ずしも図られていない気がする。これが、他国から誤解を招く最大の理由になってはいないか。このことは現在同じプログラムに通う日本人同士でも話し合った。

首相の靖国神社参拝は賛成、だった。でもこの3か月、色々な人の話を聞くと、少し冷静にこの問題を考えないといけないかなと思う自分がいる。

2012年3月29日木曜日

日本の文化を伝えたい

213日、Kennedy Schoolに在籍する日本人生徒が主催して(現在Kennedy Schoolには12人の日本人学生が在籍)、Japan Sushi Partyを開催した。AKRONというHarvard寮の共有スペースを使い、総勢70人が来てくれた。
2011年8月のチャリティーイベントにて。
忍者に扮して焼きそばを作った。

今回の目的は、日本の文化、社会をよく知ってもらうこと。

きっかけは、今の日本の首相は誰かとの質問に対して、正確に答えられる外国人が皆無だったこと。当然と言えば当然か。2009年に民主党が政権交代をしてからこれまでに登場した首相は3人。自分でも今首相が誰だか忘れてしまう。

今回企画した催し物は
・琴の演奏
・空手のパフォーマンス
・寿司職人による寿司パフォーマンス
日本文化に関するトリビア

琴の演奏は、日本人生徒の娘さん達が演奏。着物を着ての演奏、非常にかわいらしかった。空手のパフォーマンスは、ハーバード大の空手クラブ「松濤館」を招いて、演技をしてもらった。ぎこちなさはあったが、外国人の演技は迫力があった。寿司パフォーマンスは、ここ界隈で一番美味しい日本食レストランのオーナー(日系人)に来てもらい、目の前で寿司を握ってもらった。ただ、自分はてんてこ舞いで寿司は食べられず(涙)。そしてトリビアは、パワーポイントを使って、日本に関する質問を次々とぶつけていった。今の首相は誰か?世界遺産の数は?日本の人口は?最大の売り上げ規模を誇る日本企業は?などなど。

今回のイベントを開催するに当たり、買い出しやパワーポイントの作成等、それなりに事前準備に時間がかかったが、このイベントを通して日本文化を紹介し、少しでも多くの日本ファンが増えたなら、やった意義は大いにあった。

ハーバードの学部生による空手パフォーマンス

2012年3月16日金曜日

エルサレムの街

エルサレムの市内を観光。

ここは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地。と同時に、ここを巡って、何万人の血が流れた場所でもある。
Dome of the Rock

嘆きの壁(ユダヤ教)、聖墳墓教会(キリスト教)、岩のドーム(イスラム教)を見て回った。

「嘆きの壁」は今から3000年前に建てられたエルサレム神殿の一部が残ったもので、ユダヤ教にとって最も聖域な場所。「聖墳墓教会」は、キリストが処刑された場所であり、キリストの遺体が安置されている。「岩のドーム」はムハンマドが昇天体験をした場所とされている。

今回の旅のハイライト。

世界人口の6割が、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を信じていると言われている。
Wailing Wall (嘆きの壁)

宗教は違えど、真剣なまなざしで祈っている姿は、宗教を超えた尊さを感じる。

もともと、キリスト教、イスラム教はユダヤ教から生まれたとされている。全ては「Abraham」から始まった。それなのに、何故3大宗教はこれほどまでにいがみ合うのだろうか。

「ユダヤ教徒とキリスト教はどう違うのか」ユダヤ教の信者に聞いてみた。最大の違いは、ユダヤ教徒は規律を重んじ、キリスト教はbeliefsを重んじるとのこと。様々な違いが重なり合い、今の悲劇を引き起こしている。

エルサレムは奥が深い。

知らないことばかり。今度はゆっくりと訪れてみたい。

2012年3月14日水曜日

パレスチナへ

(右)アッバース大統領、(左)アラファート前大統領
パレスチナ西岸地域に入った。PLO(パレスチナ解放機構、Palestine Liberation Organization)のchief negotiatorと会うためだ。

ここはイスラエルではない。イスラエルと敵対している地域である。

パレスチナに入るためにはチェックポイントを通過しなければいけない。ここを通り過ぎると、雰囲気は一変する。人種、宗教、文字、すべてがイスラエルと異なる。ここは、モズラムの地域。町は汚い。道路はクラクションが鳴り響き、秩序は守られていない。

チーフネゴシエーターRabbo氏
PLOのチーフネゴシエーターYasser Abed Rabbo氏と会った。PLOは直近の選挙で敗れ、政権をハマスに譲った。しかし、イスラエル、アメリカはこのハマスをテロリス集団として、正式な政府として認定していない。そのため、PLOが引き続きイスラエルとの交渉パイプを持つ唯一の政党となっている。よって彼が事実上のパレスチナ側の交渉トップを務めている。

パレスチナの主張は以下の2点。

・二つの国家(two nations)を設立すること:イスラエルとパレスチナ国家
・1967年以前の国境に戻すこと(1967年の六日戦争の敗北によりパレスチナ領土は大幅に削減)
PLO本部

この点イスラエルはなんと言っているか。

建前上、イスラエルは二つの国家を支持することを表明しているが、本音は違う。現在極右のネタニアフ首相が政権を握り、パレスチナの国家設立は賛成していない。また、国境を67年以降に戻すことにも賛成していない。

Deadlock

今回、幸いにもイスラエル側、そしてパレスチナ側の意見を聴くことができた。知れば知るほど、双方が歩み寄る可能性は低いように思う。この問題を解決することは果たしてできるのだろうか。

Yasser Abed Rabbo氏は言う。「一日たりともこの問題から頭が離れたことはない。そして私たちの子供たちもあなた方のように勉強に集中させてあげたい。」

今の自分の立場を改めて幸せに思う。

街並み

2012年3月12日月曜日

レバノン、シリアの国境へ

二日目。

最初に訪れた所は、ラビンセンター。

イスラエルの歴史博物館。ラビンセンターでは、イツハク・ラビン元首相の娘さんから話を聞く機会があった。ラビン元首相は、パレスチナとの和平を推し進め、1994年にノーベル平和賞をもらった人物である。しかし、1995年に極右の青年に銃で撃たれ志し半ばで亡くなった。

ラビン元首相の娘さん
彼女が強調した言葉がある。「協調、理解、傾聴」。アラブ諸国にとってイスラエルはパレスチナ地域の侵略者。イスラエルにとってはここはPromise Land。領土問題、そこに宗教、国際社会の思惑が重なり合い、状況を複雑化させている。

「平和」。先は全く不透明。一生解決しない問題かもしれない。

午後は、イスラエルの北部に移動。シリアとレバノンの国境近くまで行った。

レバノンはイスラム武装組織ヒズボラが拠点を置く国である。その国とはわずか6年前まで戦争を行っていた。レバノンとの国境まで約800メートル。目と鼻の先である。今でもUNがパトロールをしている。いつ戦争が起きてもおかしくない地域だ。
レバノン国境

「あの丘から大砲が撃ち込まれた。今いる町は火の海になった。」元軍人のガイドからの話は戦慄を覚える。

そしてゴラン高原へ。ここは1967年の第三次中東戦争(六日戦争)でシリアから奪取した場所だ。今でも多くのシリア人が残っている。そしてシリアに忠誠心を誓っている住民が数多くいる。途中、放棄された家(今残っているのは土台のみ)が多く残されていた。

シリアとの国境近くに立ち寄った際、三大霊山の一つ青森の恐山に行った時に感じた雰囲気を思い出した。どんよりした天気がそう感じさせたのかもしれないが、重たい空気が流れているように感じた。

夜はゴラン高原で宿泊。

2012年3月10日土曜日

イスラエルへ

310日から8日間、イスラエルを旅する。ケネディースクールに在籍するイスラエル生徒が企画してくれたTrekに参加している。

テルアビブ行きフライト
9日の夜にボストンを飛び立ち、ニューヨークのNewark空港を経て、10日の夕方に無事テルアビブの町に到着した。  

Newarkでは警備が物々しかった。

イスラエル行のゲートだけ隔離されていて、再度セキュリティーのチェックを受けなければいけなかった。

これがイスラエルの現実なのか。特にここに来てイランとの核問題が更にテンションを高めている。

夕方、ホテルの近くを散歩した。夕日が地中海を真っ赤に染めていた。

平和だ。

ただ、イスラエルの人たちは、常に他国からの攻撃の恐怖と向い合せに生活をしている。殆どの家には防空壕があるという。そしてガスマスクも。

この1週間、イスラエルの現実を見て回りたい。
地中海の夕日