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2012年3月9日金曜日

震災から1年・仙台の思い出

3.11から1年。あの日からもう1年が経つ。

僕にとって仙台は思い出の地。

初めての社会人経験、初めての一人暮らしをこの仙台で経験した。最初に配属になった先が仙台の青葉通りにある営業部。2001年春から2004年夏まで仙台で過ごした。

色々な思い出が仙台にはある。
新しい命

営業がつらくて仕事を辞めたいと何度思ったことか。でもその都度、仙台の人たちの温かいサポートに助けられた。

仙台支店では、年配の女性にかわいがってもらった。僕のあだ名は「坊」。あの当時、怖いもの知らずだった。何でも興味があった。周りからはなんか変わった少年が東京から来て、ほっておけないと思われていたのだと思う。

3.11

突然襲った大きな揺れ。幸い仙台の知人は無事だった。でも家が流された人、断水が何か月も続いた人、被害は甚大だった。そして、僕が担当していたホームセンターが跡形もなくなくなっている光景に愕然とした。数多くの人々が避難した仙台空港ビルは当時担当していた先である。

6月頃だっただろうか。お世話になった仙台の方々、支店の皆さんに「ほっと一息ついてください」との言葉を添えて、虎屋のようかんを送った。そして、数週間後、仙台の皆さんから、仙台特産の笹かまや萩の月を頂いた。そこにはこんなカードが添えられていた。

「復興を見届けてください」。

東北の人たちのしなやかさ、前に進もうとする勇気。感動せずにはいられない。

今年7月に日本に戻る。

帰国してすぐに東北に行きたい。仙台の皆さんと会いたい。そして当時ハマった秘湯を巡る旅をしたい。乳頭温泉、玉川温泉、不老不死温泉、酸ヶ湯温泉、再度また訪ねたい。

2012年3月8日木曜日

ルービン元財務長官とモラル

3月6日、Wall Streetのマフィア、ルービン元財務長官が「The Future of Globalization」のクラスのスペシャルゲストとして招かれた。

70代財務長官のルービン、第71代財務長官のサマーズが一つの壇上に並んで座っている構図はそう見られるものではない。

左からサマーズ教授、プリチェット教授、ルービン元財務長官

ディベートは、2008年のリーマンショックの話から始まり、年金問題、財政規律問題の話に及んだ。


ルービン元長官が最後に強調した言葉が印象的だった。

「政策を決定する時、最後に重要になるのはモラル、そして哲学である。」

いくら高度な理論を駆使して政策決定を試みても、行くつくところは自分自身のモラル。重い言葉である。

雪印集団食中毒事件、オリンパスの損失隠し、三菱自動車リコール情報隠ぺい事件、企業不祥事を挙げだすときりがない。そして思う。その時にトップが正しい判断を下し行動をしていれば、今頃大きく運命は変わっていただろうと。

自戒を含めて、モラルと哲学の重みを再認識させられた時間だった。

2012年3月5日月曜日

撃沈・・・

計量経済の中間テストの結果が返ってきた。

撃沈・・・

穏やかな冬晴れとCharles River
しびれるような点数だった。

勉強をしたのに、この成績。何が悪かったんだろうか。

ただ、この点数が現実を物語っている。一言で言えば、分かっていなかった。

悩んでいても始まらない。

今日、オフィスアワーを使って、教授に会いに行ってきた。

何が悪かったのか?何をしなければいけないかったのか?反省点は何なのか?鋭い質問が飛ぶ。こっちはプライドがズタズタになっている中での質問攻めは正直堪える。でも裏返せば、落ちこぼれのままにはさせないとの教授の熱い気持ちの表れでもある。

復習。復習。復習。

4月下旬に期末がある。頑張らなければ。

2012年3月4日日曜日

男の料理


時々聞かれて困る質問がある。

それは、晩御飯はちゃんと作って食べているのか?という質問。

「・・・・」

定番料理「Theお肉と野菜の炒め物」

自分が作る料理に名前はない。牛丼、親子丼、煮物、そのような高度な料理は作れない。

恥ずかしながら、唯一命名できるとしたら「The お肉と野菜の炒め物」。作るときは、お肉の種類を変え、野菜の種類を変える。そうすると、7通りくらいのレパートリーになる。

気持ちとしては、今頃かなり料理の腕前を上げている予定だった。ただ、勉強が忙しく(言い訳)、今のところ、この「The お肉と野菜の炒め物」で足踏み状態。

アメリカに行く前は、やる気はあった。渡米前の2か月前から、毎週日曜日午前1125分からテレビ東京でやっている「太一×ケンタロウの男子ごはん」の番組を見ては、頭の中で自主トレをしていた。

渡米一週間前には、ケンタロウ著書「ケンタロウのフライパン一つでうれしい一週間」の本を買った。

ただ、現実は厳しい。このままいくと、「The お肉と野菜の炒め物」で終わってしまいそうだ。

2012年3月3日土曜日

Dunkin Donuts

ダンキンドーナツは、ここMassachusettsが発祥の地。だからボストンにはいたるところにある。

ダンキンのコーヒーとドーナツ
たまにふらっと立ち寄る。

僕の御用達はKennedy Schoolの前にあるEliot St.支店。図書館に移動するときの道すがら、クラスの合間にドーナツとマフィンを一つずつ購入する。これがいつものパターン。お気に入りのマフィンはHoney Bran Raisin。蜂蜜の甘さがほんのりきいてて、なかなかいける。

そのダンキン、昨日(金曜日)は勉強部屋となった。

宿題が終わらなかった。

いつも行くLamont図書館は金曜日のみ22時に閉まってしまうのだ。閉館後に行きついた場所がLamontの前にあるダンキン。一人だったらそのまま帰ってしまうところだが、昨日は、同じ国際経済を履修しているクラスメートと一緒に宿題をやっていたので、もっと頑張っていくかという雰囲気に。

閉店の24時までいたが、それでも終わらず。先は長い。。。

2012年3月2日金曜日

Peabody Terrace

Peabody Terrace
上:Peabody Terrace   
下:最上階から見た夕日

ここが僕が住んでいるアパートである。

1964年に建てられ、合計9棟、492室ある。

建てられて約60年弱。噂によると、ベトナム戦争時代に流行った無機質なオブジェを参考に設計されたらしい。部屋の中はコンクリート打ちっぱなしとなっていて、SFCの大学の雰囲気に似てる。

中は相当古い。隣で何の料理を作っているのか換気扇を通して当てることが出来たり、水回りは錆がついている等、問題点を挙げだすときりがない。

されど、住めば都。

良いところを挙げると、

1.洗濯機をまわすのが楽しみなこと。
ランドリーが21階の最上階にあって、見晴らしが素晴らしい。Charles Riverが夕日で真っ赤に染まった景色はジーンとくる。ちなみに、僕は6階に住んでいるので、残念ながら見晴らしはよくない。

2.友人が沢山ここに住んでいること。
同じプログラムに通うMC/MPAの学生がかなり住んでいて、あまりさみしくならない。

3.Kennedy Schoolから近いこと。

4.歩いて5分でWhole Food’s(スーパー)に行けること。

そんなアパートに今住んでいる。

大切にしている想い

Ask what you can do for your country」

この言葉が好きだ。この言葉は自分の人生に大きな影響を与えてくれた言葉でもある。

「自分たちはこの世の中に何ができるのか」。これはケネディー大統領の就任演説の一説だ。この言葉はKennedy Schoolの校訓にもなっている。

Kennedy Schoolの近くにある石碑。"Ask not what your
country can do for you - ask what you can do for your contry"
母国のため、世界のため、今住んでいるコミュニティーのため、会社のため、家族のため、子供のため。対象は何でもいいと思う、自分自身に信念を持っていれば。この想いこそ自分たちの存在意義にもつながるのではないか。

僕は日本人として日本の社会のためにひと汗流したいと考えている。その思いから、30歳の時、政府系金融機関に転職した。

社会人に入ってすぐに民間金融機関に就職し、地方営業部(仙台)、本店営業部を経験した。26歳の時に外務省に出向する機会をもらった。これがその後転職する一つの大きなきっかけとなった。

外交とは何か、国益を守るとは何か。これこそ自分がやりたいことなんではないか。

仕事をやる以上、日本のために働きたい、その時はっきり自分の歩む道が見えたように思った。僕は幼少期にアメリカに住んだ経験がある。その時強烈に考えさせられたことは、自分のアイデンティティーとは何かということだ。日本を離れてその時に見えたことは、僕は日本人であるという想い。そして社会に出たときは、日本人として誇れる仕事がしたいと。

民間金融機関では非常に良い経験をさせてもらった。でも一つずっと悶々としていたことは、毎日「収益、収益」とプレッシャーをかけられ、何のために、誰のために働いているんだろうという思い。民間だから収益をあげるのは当然、それは分かっていたものの、しっくりこない自分がいた。

そして30歳の時に政府系金融機関に転職。

33歳の時にKennedy Schoolに留学。

Ask what you can do for your country」。この想いを忘れずに、今後も生きていきたい。