僕にとって仙台は思い出の地。
初めての社会人経験、初めての一人暮らしをこの仙台で経験した。最初に配属になった先が仙台の青葉通りにある営業部。2001年春から2004年夏まで仙台で過ごした。
色々な思い出が仙台にはある。
新しい命 |
営業がつらくて仕事を辞めたいと何度思ったことか。でもその都度、仙台の人たちの温かいサポートに助けられた。
仙台支店では、年配の女性にかわいがってもらった。僕のあだ名は「坊」。あの当時、怖いもの知らずだった。何でも興味があった。周りからはなんか変わった少年が東京から来て、ほっておけないと思われていたのだと思う。
「3.11」
突然襲った大きな揺れ。幸い仙台の知人は無事だった。でも家が流された人、断水が何か月も続いた人、被害は甚大だった。そして、僕が担当していたホームセンターが跡形もなくなくなっている光景に愕然とした。数多くの人々が避難した仙台空港ビルは当時担当していた先である。
6月頃だっただろうか。お世話になった仙台の方々、支店の皆さんに「ほっと一息ついてください」との言葉を添えて、虎屋のようかんを送った。そして、数週間後、仙台の皆さんから、仙台特産の笹かまや萩の月を頂いた。そこにはこんなカードが添えられていた。
「復興を見届けてください」。
東北の人たちのしなやかさ、前に進もうとする勇気。感動せずにはいられない。
今年7月に日本に戻る。
帰国してすぐに東北に行きたい。仙台の皆さんと会いたい。そして当時ハマった秘湯を巡る旅をしたい。乳頭温泉、玉川温泉、不老不死温泉、酸ヶ湯温泉、再度また訪ねたい。
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