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2012年3月29日木曜日

日本の文化を伝えたい

213日、Kennedy Schoolに在籍する日本人生徒が主催して(現在Kennedy Schoolには12人の日本人学生が在籍)、Japan Sushi Partyを開催した。AKRONというHarvard寮の共有スペースを使い、総勢70人が来てくれた。
2011年8月のチャリティーイベントにて。
忍者に扮して焼きそばを作った。

今回の目的は、日本の文化、社会をよく知ってもらうこと。

きっかけは、今の日本の首相は誰かとの質問に対して、正確に答えられる外国人が皆無だったこと。当然と言えば当然か。2009年に民主党が政権交代をしてからこれまでに登場した首相は3人。自分でも今首相が誰だか忘れてしまう。

今回企画した催し物は
・琴の演奏
・空手のパフォーマンス
・寿司職人による寿司パフォーマンス
日本文化に関するトリビア

琴の演奏は、日本人生徒の娘さん達が演奏。着物を着ての演奏、非常にかわいらしかった。空手のパフォーマンスは、ハーバード大の空手クラブ「松濤館」を招いて、演技をしてもらった。ぎこちなさはあったが、外国人の演技は迫力があった。寿司パフォーマンスは、ここ界隈で一番美味しい日本食レストランのオーナー(日系人)に来てもらい、目の前で寿司を握ってもらった。ただ、自分はてんてこ舞いで寿司は食べられず(涙)。そしてトリビアは、パワーポイントを使って、日本に関する質問を次々とぶつけていった。今の首相は誰か?世界遺産の数は?日本の人口は?最大の売り上げ規模を誇る日本企業は?などなど。

今回のイベントを開催するに当たり、買い出しやパワーポイントの作成等、それなりに事前準備に時間がかかったが、このイベントを通して日本文化を紹介し、少しでも多くの日本ファンが増えたなら、やった意義は大いにあった。

ハーバードの学部生による空手パフォーマンス

2012年3月16日金曜日

エルサレムの街

エルサレムの市内を観光。

ここは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地。と同時に、ここを巡って、何万人の血が流れた場所でもある。
Dome of the Rock

嘆きの壁(ユダヤ教)、聖墳墓教会(キリスト教)、岩のドーム(イスラム教)を見て回った。

「嘆きの壁」は今から3000年前に建てられたエルサレム神殿の一部が残ったもので、ユダヤ教にとって最も聖域な場所。「聖墳墓教会」は、キリストが処刑された場所であり、キリストの遺体が安置されている。「岩のドーム」はムハンマドが昇天体験をした場所とされている。

今回の旅のハイライト。

世界人口の6割が、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を信じていると言われている。
Wailing Wall (嘆きの壁)

宗教は違えど、真剣なまなざしで祈っている姿は、宗教を超えた尊さを感じる。

もともと、キリスト教、イスラム教はユダヤ教から生まれたとされている。全ては「Abraham」から始まった。それなのに、何故3大宗教はこれほどまでにいがみ合うのだろうか。

「ユダヤ教徒とキリスト教はどう違うのか」ユダヤ教の信者に聞いてみた。最大の違いは、ユダヤ教徒は規律を重んじ、キリスト教はbeliefsを重んじるとのこと。様々な違いが重なり合い、今の悲劇を引き起こしている。

エルサレムは奥が深い。

知らないことばかり。今度はゆっくりと訪れてみたい。

2012年3月14日水曜日

パレスチナへ

(右)アッバース大統領、(左)アラファート前大統領
パレスチナ西岸地域に入った。PLO(パレスチナ解放機構、Palestine Liberation Organization)のchief negotiatorと会うためだ。

ここはイスラエルではない。イスラエルと敵対している地域である。

パレスチナに入るためにはチェックポイントを通過しなければいけない。ここを通り過ぎると、雰囲気は一変する。人種、宗教、文字、すべてがイスラエルと異なる。ここは、モズラムの地域。町は汚い。道路はクラクションが鳴り響き、秩序は守られていない。

チーフネゴシエーターRabbo氏
PLOのチーフネゴシエーターYasser Abed Rabbo氏と会った。PLOは直近の選挙で敗れ、政権をハマスに譲った。しかし、イスラエル、アメリカはこのハマスをテロリス集団として、正式な政府として認定していない。そのため、PLOが引き続きイスラエルとの交渉パイプを持つ唯一の政党となっている。よって彼が事実上のパレスチナ側の交渉トップを務めている。

パレスチナの主張は以下の2点。

・二つの国家(two nations)を設立すること:イスラエルとパレスチナ国家
・1967年以前の国境に戻すこと(1967年の六日戦争の敗北によりパレスチナ領土は大幅に削減)
PLO本部

この点イスラエルはなんと言っているか。

建前上、イスラエルは二つの国家を支持することを表明しているが、本音は違う。現在極右のネタニアフ首相が政権を握り、パレスチナの国家設立は賛成していない。また、国境を67年以降に戻すことにも賛成していない。

Deadlock

今回、幸いにもイスラエル側、そしてパレスチナ側の意見を聴くことができた。知れば知るほど、双方が歩み寄る可能性は低いように思う。この問題を解決することは果たしてできるのだろうか。

Yasser Abed Rabbo氏は言う。「一日たりともこの問題から頭が離れたことはない。そして私たちの子供たちもあなた方のように勉強に集中させてあげたい。」

今の自分の立場を改めて幸せに思う。

街並み

2012年3月12日月曜日

レバノン、シリアの国境へ

二日目。

最初に訪れた所は、ラビンセンター。

イスラエルの歴史博物館。ラビンセンターでは、イツハク・ラビン元首相の娘さんから話を聞く機会があった。ラビン元首相は、パレスチナとの和平を推し進め、1994年にノーベル平和賞をもらった人物である。しかし、1995年に極右の青年に銃で撃たれ志し半ばで亡くなった。

ラビン元首相の娘さん
彼女が強調した言葉がある。「協調、理解、傾聴」。アラブ諸国にとってイスラエルはパレスチナ地域の侵略者。イスラエルにとってはここはPromise Land。領土問題、そこに宗教、国際社会の思惑が重なり合い、状況を複雑化させている。

「平和」。先は全く不透明。一生解決しない問題かもしれない。

午後は、イスラエルの北部に移動。シリアとレバノンの国境近くまで行った。

レバノンはイスラム武装組織ヒズボラが拠点を置く国である。その国とはわずか6年前まで戦争を行っていた。レバノンとの国境まで約800メートル。目と鼻の先である。今でもUNがパトロールをしている。いつ戦争が起きてもおかしくない地域だ。
レバノン国境

「あの丘から大砲が撃ち込まれた。今いる町は火の海になった。」元軍人のガイドからの話は戦慄を覚える。

そしてゴラン高原へ。ここは1967年の第三次中東戦争(六日戦争)でシリアから奪取した場所だ。今でも多くのシリア人が残っている。そしてシリアに忠誠心を誓っている住民が数多くいる。途中、放棄された家(今残っているのは土台のみ)が多く残されていた。

シリアとの国境近くに立ち寄った際、三大霊山の一つ青森の恐山に行った時に感じた雰囲気を思い出した。どんよりした天気がそう感じさせたのかもしれないが、重たい空気が流れているように感じた。

夜はゴラン高原で宿泊。

2012年3月10日土曜日

イスラエルへ

310日から8日間、イスラエルを旅する。ケネディースクールに在籍するイスラエル生徒が企画してくれたTrekに参加している。

テルアビブ行きフライト
9日の夜にボストンを飛び立ち、ニューヨークのNewark空港を経て、10日の夕方に無事テルアビブの町に到着した。  

Newarkでは警備が物々しかった。

イスラエル行のゲートだけ隔離されていて、再度セキュリティーのチェックを受けなければいけなかった。

これがイスラエルの現実なのか。特にここに来てイランとの核問題が更にテンションを高めている。

夕方、ホテルの近くを散歩した。夕日が地中海を真っ赤に染めていた。

平和だ。

ただ、イスラエルの人たちは、常に他国からの攻撃の恐怖と向い合せに生活をしている。殆どの家には防空壕があるという。そしてガスマスクも。

この1週間、イスラエルの現実を見て回りたい。
地中海の夕日

2012年3月9日金曜日

震災から1年・仙台の思い出

3.11から1年。あの日からもう1年が経つ。

僕にとって仙台は思い出の地。

初めての社会人経験、初めての一人暮らしをこの仙台で経験した。最初に配属になった先が仙台の青葉通りにある営業部。2001年春から2004年夏まで仙台で過ごした。

色々な思い出が仙台にはある。
新しい命

営業がつらくて仕事を辞めたいと何度思ったことか。でもその都度、仙台の人たちの温かいサポートに助けられた。

仙台支店では、年配の女性にかわいがってもらった。僕のあだ名は「坊」。あの当時、怖いもの知らずだった。何でも興味があった。周りからはなんか変わった少年が東京から来て、ほっておけないと思われていたのだと思う。

3.11

突然襲った大きな揺れ。幸い仙台の知人は無事だった。でも家が流された人、断水が何か月も続いた人、被害は甚大だった。そして、僕が担当していたホームセンターが跡形もなくなくなっている光景に愕然とした。数多くの人々が避難した仙台空港ビルは当時担当していた先である。

6月頃だっただろうか。お世話になった仙台の方々、支店の皆さんに「ほっと一息ついてください」との言葉を添えて、虎屋のようかんを送った。そして、数週間後、仙台の皆さんから、仙台特産の笹かまや萩の月を頂いた。そこにはこんなカードが添えられていた。

「復興を見届けてください」。

東北の人たちのしなやかさ、前に進もうとする勇気。感動せずにはいられない。

今年7月に日本に戻る。

帰国してすぐに東北に行きたい。仙台の皆さんと会いたい。そして当時ハマった秘湯を巡る旅をしたい。乳頭温泉、玉川温泉、不老不死温泉、酸ヶ湯温泉、再度また訪ねたい。

2012年3月8日木曜日

ルービン元財務長官とモラル

3月6日、Wall Streetのマフィア、ルービン元財務長官が「The Future of Globalization」のクラスのスペシャルゲストとして招かれた。

70代財務長官のルービン、第71代財務長官のサマーズが一つの壇上に並んで座っている構図はそう見られるものではない。

左からサマーズ教授、プリチェット教授、ルービン元財務長官

ディベートは、2008年のリーマンショックの話から始まり、年金問題、財政規律問題の話に及んだ。


ルービン元長官が最後に強調した言葉が印象的だった。

「政策を決定する時、最後に重要になるのはモラル、そして哲学である。」

いくら高度な理論を駆使して政策決定を試みても、行くつくところは自分自身のモラル。重い言葉である。

雪印集団食中毒事件、オリンパスの損失隠し、三菱自動車リコール情報隠ぺい事件、企業不祥事を挙げだすときりがない。そして思う。その時にトップが正しい判断を下し行動をしていれば、今頃大きく運命は変わっていただろうと。

自戒を含めて、モラルと哲学の重みを再認識させられた時間だった。

2012年3月5日月曜日

撃沈・・・

計量経済の中間テストの結果が返ってきた。

撃沈・・・

穏やかな冬晴れとCharles River
しびれるような点数だった。

勉強をしたのに、この成績。何が悪かったんだろうか。

ただ、この点数が現実を物語っている。一言で言えば、分かっていなかった。

悩んでいても始まらない。

今日、オフィスアワーを使って、教授に会いに行ってきた。

何が悪かったのか?何をしなければいけないかったのか?反省点は何なのか?鋭い質問が飛ぶ。こっちはプライドがズタズタになっている中での質問攻めは正直堪える。でも裏返せば、落ちこぼれのままにはさせないとの教授の熱い気持ちの表れでもある。

復習。復習。復習。

4月下旬に期末がある。頑張らなければ。

2012年3月4日日曜日

男の料理


時々聞かれて困る質問がある。

それは、晩御飯はちゃんと作って食べているのか?という質問。

「・・・・」

定番料理「Theお肉と野菜の炒め物」

自分が作る料理に名前はない。牛丼、親子丼、煮物、そのような高度な料理は作れない。

恥ずかしながら、唯一命名できるとしたら「The お肉と野菜の炒め物」。作るときは、お肉の種類を変え、野菜の種類を変える。そうすると、7通りくらいのレパートリーになる。

気持ちとしては、今頃かなり料理の腕前を上げている予定だった。ただ、勉強が忙しく(言い訳)、今のところ、この「The お肉と野菜の炒め物」で足踏み状態。

アメリカに行く前は、やる気はあった。渡米前の2か月前から、毎週日曜日午前1125分からテレビ東京でやっている「太一×ケンタロウの男子ごはん」の番組を見ては、頭の中で自主トレをしていた。

渡米一週間前には、ケンタロウ著書「ケンタロウのフライパン一つでうれしい一週間」の本を買った。

ただ、現実は厳しい。このままいくと、「The お肉と野菜の炒め物」で終わってしまいそうだ。